黒瀬谷ってどんなところ?

山あいの小さな集落に、キラリと光る人たち。
富山市八尾町の黒瀬谷(くろせだに)。
ここには、豊かな自然の恵みと地域の繋がりを大切にしながら、自分らしく毎日を楽しむ人たちが暮らしています。新鮮な野菜が並ぶ「菜菜こられ市」や、ホタルやカブトムシが潜むビオトープ、季節ごとの収穫体験。
黒瀬谷ならではの“お楽しみ”は、自然とともに、そして人と人とが寄り添いながら育んできたものばかり。この黒瀬谷特集では、そんな黒瀬谷で暮らす人々の姿を、4回にわたってご紹介します。
第4回は、黒瀬谷に導かれた大島 晃(おおしま あきら)さん。
ことしの春。大島さんは、黒瀬谷で自身の原点に立ち戻るような出来事がありました。それはまるで、黒瀬谷に暮らすことが少年時代から決まっていたかのよう。そして、大島さんの“お楽しみ”は、色褪せることなく、“ずっと変わらず好きなこと”でした。
富山の小さな集落「黒瀬谷」のキラリ輝く人たちを、あなたにもお届けします。
黒瀬谷にやって来た「大島 晃」さん
農業技術職ならではの視点

大島 晃さんは、富山県の農業技術の指導者として、県内の園芸作物の技術指導や産地づくりに尽力してきました。
出身は、富山市上市町。職場で知り合った奥様との結婚を機に、奥様の実家のある黒瀬谷で義両親とともに暮らしています。現在は退職し、もっぱら自宅の畑で野菜づくりに専念する毎日。
結婚するまで黒瀬谷に来たことがなかったという晃さん、山あいに位置する黒瀬谷の環境に驚いたそう。
「ワシねー、上市で育ったろ。毎日、つるぎや立山を見ながら歯磨きしとったもんやちゃ」

谷沿いに川が流れ、その上を風が渡る中山間地の黒瀬谷は、夏でも夜間の気温が低く、日中の気温が高いという特徴があるそう。まるで昼夜の寒暖差が大きい京都のようだと、晃さんは農業指導者の視点で分析します。
「夜間の気温が低いと、植物の呼吸がおさえられるから、昼に光合成でつくった養分が、実や葉に蓄えられやすい。だから、ここはトマトやナス、エダマメ、キュウリといった果菜類の栽培に適しとる」

大島晃さんが知る黒瀬谷の魅力
上市町からやって来た晃さんに、黒瀬谷の印象を伺うと…
「一番、思ったのは、まとまりがある、つながりが強いってところかな」
喜楽里館(現 黒瀬谷公民館)に、天井の高い体育館が備えられたのは、地区の人たちが楽しむビーチボールバレーが盛んだったからこそ。「菜菜こられ市」や「軒下カフェ」など、ひとたび開催すれば、協力する人、楽しむ人たちがパッと集結するそうです。
「25年以上も続いている朝市って、そうそうないよ」

「あとね、男の人の結婚が早い。ワシ30で結婚したがね。ここに来たら、20代で結婚する男性が多くて。早まったのぉと思ったけど、ま、これは冗談で。前向きな人が多いんじゃないかな」
篤農家の粋を集めた“大島試験農園”
野菜づくりの技がギュッとつまった畑


ゴロゴロと実るトマトに、煮込むと旨味と酸味が際立つ加熱用トマト。


時短調理におすすめなフワフワ感触の「ふわとろナス」に、大きく育っても柔らかく丸みを帯びた「島オクラ」。


昔ながらの四葉系キュウリやイボナシキュウリなどなど。約30アールの畑に、普段あまり見かけないような野菜、その数なんと100品種以上が育っています。
「仕事の関係で、高い技術を持つ県内の農家さんと接する機会が多かったから。ここは、そんな篤農家さんの技術が集約された場所」
収量が多いものは?調理しやすい品種は?暑さに強いものは?種苗会社がアピールしている品種の特性は、果たして本当なのか?
農家さんから聞いた技術を試し、比較し、教わったことを実践する。そこは、さながら“大島試験農園”。

「まずは自分でしっかり野菜を作って、どうなるのかを知りたい。技術指導する時には、自分でも作ってみることが近道だと思ってね。それで、野菜を作りたいという人がおれば、ここに来てもらって。見せながら説明ができる」
晃さんは、県職員の頃から、そして退職してからも“大島試験農園”で野菜を育てながら、農家さんだけでなく、興味がありたずねて来る全ての人に、持っている情報を提供しています。
パティシエの要望にも応える
シェフやパティシエからも相談を受けるという晃さん。ジャムやお菓子に使う新鮮な「ルバーブ」を手に入れたいという要望に応えようと、何年もかけて試験栽培しています。


夏の間は苗を日陰に置いてみたり、定植の時期を変えてみたり。
「軽井沢とかで、直売所に並ぶんだけどね。ルバーブは暑さに弱くてね」


「食べてみられ。これ、ワシが作ったが」
晃さんお手製のルバーブジャムは、アンズに似た独特の酸味と甘みが絶妙なジャムでした。いったい、あの茎のどこがそうなるのか不思議です。
パンやクラッカーに合いそうなルバーブジャムですが、スイーツになるなら、ぜひとも味わってみたいです!
大島 晃さんの“お楽しみ”
きっかけは、盆栽

小学1年の頃から、父親の手伝いで盆栽の水やりが日課だったという晃さん。
「毎日、同じように、ちゃんと水をあげているのに枯れていくものがあってね。それが不思議で、不思議で」
どうして?なぜ?が知りたくて、「週刊少年ジャンプ」の合間に「盆栽の本」を読み漁る少年時代を過ごすうちに、花や植物の世界にどんどんのめり込んでいったそう。
「県の園芸担当になったことで野菜づくりに関われて、今も黒瀬谷で目いっぱい好きなことができてる」
黒瀬谷で原点に返る
ことし3月。「盆栽、いらないか?」と声をかけられ晃さんは、たまたま近所に盆栽愛好家がいたことを知ります。
働くようになり、しばらく盆栽から離れていた晃さん。持ち主がいなくなり、枯れあがってしまった鉢を譲りうけ、自宅裏で盆栽を仕立て直しています。

「あぁ、ここで盆栽に戻ってきたか!って思ったね」
少年時代、盆栽に夢中にならなければ、農業に関わることもなく、奥様に出会うこともなければ、黒瀬谷で暮らすこともなかった。

「ワシね、本当は花が好きなが。茶花とか好きでね、よく生け花の展示会へも見に行くがね」
そう話しながら見つめる先には、和蘭の鉢がいっぱいありました。

大島さんの“お楽しみ”は黒瀬谷での野菜づくりと盆栽の再生、そして花を咲かせること。それは時が経っても、色褪せることのない大切なものでした。